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慰安婦問題 朝日新聞の責任と報道規制を考える - 2014.09.26 Fri

 9月5日、朝日新聞が従軍慰安婦について「強制連行」があったとした過去の一部報道を取り消した。この「強制連行」の根拠となった「吉田証言」を最初に掲載したのが1982年の9月ということなので、取り消すまで実に32年もかかったことになる。多くの専門家が指摘していることだが、なぜ一つの記事を訂正するのにここまで長い時間を要したのか、ある種の「悪意」を感じざるを得ない。

 慰安婦の「強制連行」を証言した吉田清治氏が書いた著書『私の戦争犯罪』は、発表当時から内容の信憑性について多くの疑問が指摘されていた。そしてその後、現代史家の秦郁彦氏による現地調査でフィクションであることが明らかとなり、吉田氏本人もそれを認めていた。にもかかわらず朝日新聞は「吉田証言」について訂正することなく慰安婦問題を取り上げ続け、その結果1996年の国連人権委員会に報告された「女性への暴力特別報告」に関する報告書「クマラスワミ報告」や韓国政府による公式的な慰安婦に関する調査文書にも「吉田証言」が引用されるなど、世界的に日本の名誉を著しく毀損してきた。まさに慰安婦問題の「発火点」が吉田氏の本であり、それを国際問題にまで拡大したのが朝日新聞だと言える。

 従って現在になって朝日新聞が訂正記事を出し、社長が謝罪会見を行なったとしても、もはやこれまで行ってきた日本に対する名誉毀損について朝日新聞が責任を取れる次元ではないかも知れない。仮に朝日新聞の現社長が辞任・辞職したとしても、もっと言えば朝日新聞自体が廃刊になったとしても、それは同様だろう。朝日は廃刊になる前に、世界に自らの誤報を謝罪し、自らの報道が誤報だったことを知らせる広報活動を徹底して行うべきだと私は思う。

 話は変わるが、9月11日の各紙に、読売新聞会長渡辺恒雄氏の捏造問題に関するコメントが掲載されていた。その要旨は「メディアは万能では無く、何でもかんでも自由というのは間違っている。法律に規制されないうちに誤報・捏造などの問題を自浄作用で克服していかなければならない」というものだ。私はこのコメントを、国会に身を置くものとしてメディアをもっと公正な観点から法規制すべきだと言っているように感じた。

 調べてみると日本では、国家や政府などに対して誤報・捏造を行なった報道機関があったとしてもそれを罰する法律は無い。個人に対する捏造となれば民事で争いは可能となるが、「国家反逆罪」に該当するような罪を規定した法律がないため、いくら国を貶めても法的に罪に問われることはないのである。つまり、新聞は嘘でも捏造でも自由に報じて良いことになっていると言っても過言ではない。テレビについてはチャンネル数が限られており、影響も大きいということから放送法4条に「政治的に公平であること。」「報道は事実をまげないですること。」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」という規定がある。これに関しても今のテレビが守っているかどうか甚だ疑問があるところだが、新聞に関してはこうした法律すらないのが現状だ。

 今回の朝日新聞の捏造問題を通じて、問題の「河野談話」をはじめ政府見解を改めることはもちろんだが、報道に関する法規制の必要性も実感した。それはあくまでも国民の知る権利や報道の自由を侵害するものではなく、公正・公平な報道を義務付けるのはもちろんのこと、嘘や捏造を報道してはならないという規制、そしてそれを行った場合の罰則規定も盛り込んだ法律を議員立法でも作るべきだろう。それはメディアの誤報や捏造を防ぐことにもなる。朝日新聞の捏造問題が大きくクローズアップされる今、メディアを恐れずこの問題に向き合うことが政治家に求められていると思う。




「戦争をしないための集団的自衛権」 - 2014.07.17 Thu

 7月1日に閣議決定された集団的自衛権行使容認は、多くのメディアによって歪曲され、国民にその本質が伝わっていないように思われる。メディアによって伝えられる集団的自衛権の要諦は「戦争するため」となっている。集団的自衛権の行使を認めれば、海外における戦争に自衛隊が派遣され、日本がどんどん戦争に巻き込まれていくというものだ。それに対して、集団的自衛権は「権利であって義務ではない」と反論しても、米国にNOと言えない以上、義務同然のように米国に付き合わされ戦争に巻き込まれていくと反対派は主張する。それならむしろ米国に追従しないように、自主防衛体制を整えるべきだと主張すべきなのに、そのことを主張する反対論者は皆無である。つまり「日米同盟」で米国に日本防衛の義務を課しておきながら、日本が米国の軍事的サポートをすることは、例え国連決議が出された武力行使であろうと、してはいけないと主張するのである。

 相互防衛による国家間の信頼構築の話は別として、私は今回の集団的自衛権の議論を見ていて「抑止力」という概念がすっぽり抜け落ちているように思う。なぜ「集団的自衛権」というものが国連憲章にも、単なる権利ではなく「自然権(如何なる法によっても制限できない生来の固有の権利)」として盛り込まれたかを考えてみると、そのことが良く見えてくる。そもそも国連憲章に盛り込まれたきっかけは、1945年のサンフランシスコ会議においてラテンアメリカ諸国が主張したことによる。ラテンアメリカの主張の裏には、米国によるラテンアメリカへの進出があった。米国の南下に一か国ではどの国も対抗出来なかったラテンアメリカ諸国は、周辺諸国で協力しその抑止体制を整えようとした。その大前提となっていたのが集団的自衛権である。つまり一か国では米国との「勢力均衡」をつくれないため、いわば群れをなして「バランス・オブ・パワー」をつくり、米国の南下を抑止しようとしたのである。つまりこれこそ「戦争にならないための集団的自衛権」である。

 このことは全世界どの地域でも、そしてどの時代でも同様に言えることであった。人間が国家をつくった初期の段階から、集団的自衛権という言葉そのものは無いが、防衛協力はいたるところでなされてきた。そして現代でもっともそのことが求められている地域のひとつが我がアジア地域である。中国に軍事的に対抗できない東南アジア諸国は、以前から日本との同盟関係を結び、中国の侵略を抑止したいと考えてきた。しかしネックとなったのは日本が集団的自衛権を行使できないと憲法解釈してきたことである。日本は国連に加盟する時、「自然権」としての「集団的自衛権」が明記された「国連憲章」を留保無しに受け入れておきながら、憲法がそれを禁じていると主張してきた。しかしこのことはアジア諸国の日本への期待を裏切り、ヴェトナムやフィリピンなどで見られるように中国の南下を今まさに招いているのは明らかだ。

 日本が集団的自衛権行使を認め、アジア諸国との安全保障体制を整えることは、今まさに侵略をしようとしている中国を抑止し、アジアの平和構築に必ず役立つ。従って、今の問題は、集団的自衛権の行使に対し「自国のため」という極めておかしな限定を加えていることである。政府・与党、そして政治家は世論やマスコミに惑わされたり逃げるたりするのではなく、「戦争をしないためにこそ集団的自衛権が必要不可欠だ」ということを国民にきちんと説明しなければならないと私は考える。



北朝鮮による拉致問題、日朝合意文書について - 2014.06.13 Fri

 5月26~28日、日本と北朝鮮がスウェーデンのストックホルムで開いた外務省局長級協議で、北朝鮮は全ての拉致被害者に関して再調査を行うことを約束した。政府認定の拉致被害者だけではなく、拉致の疑いが否定できない『特定失踪者』約700人も調査対象に含めるなど、これまでにない規模で調査が行われる。それだけに、家族会を始め、国民の期待も大きいだろう。

 確かに、停滞していた拉致問題が動き始めたことは事実であり、自民党安倍政権の外交の成果が出始めたとも考えられる。しかし私たちが注目しなければならないのは、なぜ今になって北朝鮮が再度交渉にのってきたか、という点である。

 福田政権、麻生政権、その後の民主党政権が政治的に不安定であり、短命で終わるとの見方が強く、そのためそもそも日本側の外交の土台がしっかりしていなかったことで交渉が停滞したことは事実であり、その反面、今度の安倍総理が長期政権になると多くの分析がなされていることは、北朝鮮が交渉を再開した環境的な理由であろう。

 しかし、私はそれよりもこれまでに行ってきた対北朝鮮の経済制裁が効いてきたことが最も大きな理由だと分析する。つまり、万景峰号などによるヒト・モノ・カネの往来がストップしたこと、とりわけ「在日マネー」と言われる大きな資金の流れが止まったことにより、金体制の維持が困難になってきたことが、北朝鮮を交渉再開に至らしめた最も大きな原因と考える。

 そういう視点で見ると、今回の「合意文書」の大きな問題点が浮かび上がってくる。菅官房長官が5月29日に発表した文章の中の一部分を見ると以下のように書かれている。

  「第2に、北朝鮮側が包括的調査のために特別調査委員会を立ち上げ、調査を開始する時点で、人的往来の規制措置、送金報告および携帯輸出届け出の金額に関して北朝鮮に対して講じている特別な規制措置、および人道目的の北朝鮮籍の船舶の日本への入港禁止措置を解除することとした。」

 ここで述べられている事は、「調査を開始する時点」で「経済制裁を解除する」ということだ。つまり拉致被害者が全て帰還した時点ではなく、あくまで「調査を開始した時点」で経済制裁が解除され、北朝鮮へのヒト・モノ・カネの往来が再開するということである。従って厳密に言えば、最悪経済制裁だけを解除させられ、被害者は帰って来ないという事態も考えられる。

 従って、私たちは北朝鮮が結果が出るまで1年かかると主張する「調査」というものをしっかりと見ておかなければならない。そしてそれ如何では、経済制裁を再度行うというプレッシャーを与え続けなければならないと思う。私は拉致被害者全ての帰還をもって制裁解除とすべきだと考えるものだが、おそらくそれでは交渉が成り立たなかったのであろう。被害者を一刻も早く救出したいという考えも良く理解しなければならない。この拉致問題に長年取り組んできた安倍総理を信頼し、支持する一方で、果実のみをとられないよう議会の立場からしっかりと見ていかなければならないと思う。


「地域主権」という病理 - 2014.05.19 Mon

 数年前から「地域主権」という言葉が流行っている。政権交代が起こった2009年には、民主党がマニフェストで「地域主権」という言葉を最重要テーマとして掲げていた。また私の住む関西では、滋賀の嘉田知事がこの言葉をスローガンに、中央政府に強い口調で物申してきた。「地域のことは地域で決める。国の中央政府はそれを追認し、サポートすれば良い」まるでそう言わんばかりで、国民の殆どもそれを正しいと錯覚したことだろう。

 長いものにまかれるように、自民党政権を含め歴代政府もこの「地域主権」という言葉をしっかりと検証もせずにすすめてきた。政府の予算がそれぞれ大幅に減少する中で、順調に増加しているのは、福祉予算と地方交付金である。現在でも内閣府のHPを見ると、以下のように書かれている。

 「地域主権改革は、地域のことは地域に住む住民が責任を持って決めることのできる活気に満ちた地域社会をつくっていくことを目指しています。このため、国が地方に優越する上下の関係から対等なパートナーシップの関係へと転換するとともに、明治以来の中央集権体質から脱却し、この国の在り方を大きく転換していきます。」

 確かに、国がしっかり政治を行わないから、地方がそれを正そうとある種の「ムーブメント」を起こそうとすることは理解できる。しかし、そもそも「主権」とは、統治の独立性・最高性を示す国家の権利(簡単に言えば、国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利)であり、普通歴史的に「国家主権」という言葉でしか使われない。つまりあくまでも「主権」というのは「国家」に帰属するものであり、それを「地域」に移譲することは「国家」を解体することに等しい。まして、地方に力を持たせたうえで、外国人地方参政権を付与するとなると、事は更に深刻な問題となる。

 行政が行う事業を、地域に根ざし、きめ細やかにすることは必要であろうが、それはあったとしても一部の分権(「権限」と「財源」の移譲)にとどめるべきであり、「主権」を地方に移すようなことを認めてはならない。ただでさえ戦後日本では「主権」意識が低いのにもかかわらず、「国家主権」を否定し「地域主権」なるものをしっかりとした定義づけもせず濫用し続けることは、更に国民の「国家意識」を希薄にさせる。

 明治4年(1871年)、261の藩を廃し3府72県がおかれる様になった大改革「廃藩置県」は、「中央集権化」を図るために行われた。なぜ「中央集権化」が必要だったのか。欧米列強のアジア侵略に備え、一致団結し国を強くするためであった。

 今も昔もアジア情勢は変わっていない。中国があり、ロシアがあり、北朝鮮があり、韓国があり、そしてアメリカがある。中国は領海侵犯を繰り返し、北朝鮮は核開発を続けている。言わば常に有事の危機にさらされていると言っても過言ではない。未だそういう時代にあって、国と地域の権限と財源の奪い合いのために、国が解体される、あるいは国の力が弱くなり地方が「わがまま」を言うような状態に陥ってはならない。

 埼玉大学名誉教授の長谷川三千子先生は次のように指摘する。「地方主権というとんでもなく奇妙な言葉が独り歩きしている。これは、日本人から主権という概念がすっぽり抜け落ちている何よりの証拠である。地方は国家にとってどういう役割をもっているか。まさに地方がそれぞれ頑張って国家主権の担い手である自覚を示さなければならない。日本にいったん事があれば、地方は地方として国のために全力を尽くす。これが地方の役割。しかし、どうやら地方主権を主張する人たちはそんなことは考えていない。地域のことは地域で勝手に決める。日本国全体がどんな危機に直面しようと自分達は関係ない、こういう考え方が地方主権という言葉の中にはっきりと現れ出ている。まさに地方こそが国の主権を守る主役にならなければならないという考え方へ転換していかなければならない。」

 私は、国と地方の役割を明確化し、縦割り横割りで非効率な行政を改め、ある部分地方分権を進め、きめ細やかな行政サービスを行えるような改革には賛成である。しかしそれは全て「国家発展」のためであって、「地域エゴ」のためであってはならない。各々地域の情報を把握し、均衡ある国土の発展を成し遂げるためにも国にそれなりに権限と財源を集中させることは必要だ。また、その根底には「国家主権」という概念が常に意識されたもので無ければならないと思う。

 重ねて言うが、地域が「地域エゴ」ばかりを主張してては、国の弱体化につながりかねない。例えば地域がオスプレイ訓練の受け入れに反対することは簡単だ。また3・11で生じた福島の瓦礫の受け入れに反対することは簡単だ。あるいは電力を享受しておきながら、原発そのものに反対することも簡単だ。しかし地域が国全体のことを一切考えず、国全体の利益が損なわれれば結局国を構成している地域も衰えて行くことになる。今地域に欠けているのは、地域として「国のために何ができるか」という視点だと私は思う。「地域の発展は国の発展から」という意識を持ち、地域の発展と国の発展を両輪のごとくとらえて政治を進める、そうした首長が今の日本には必要だと私は思う。私の県では7月に知事選を迎えるが、有権者にはそうした視点を是非持って欲しい。


「集団的自衛権」は自然権 - 2014.05.14 Wed

 「集団的自衛権」が議論になっている。総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、集団的自衛権が行使できるとする憲法解釈の変更を求める報告書をまとめ、自民党としても「限定的容認」を目指して議論を進めている。私から見れば遅過ぎると感じる上、現状でも付されている「限定的」という文言に強い違和感を覚えている。

 そもそも集団的自衛権は国際法上広く認められた国家固有の「権利」であり、国連憲章の第51条では「自然権」(英語ではinherent right,フランス語ではdroit naturel,中国語では自然権利)として明記されている。「自然権」とはいかなる法によっても制限できない生来の権利のことを言う。従って、それをこれまで憲法が禁じていると解釈してきたこと自体が異常だったのであって、今回の議論は解釈の「是正」に向けた第一歩である。しかし「限定的」としているのは、またおかしい。

 今はもう下火だが、数年前「国連改革」が叫ばれた時期があった。国連常任理事国入りを目指し、日本も同様の目的をもつ国々と連携して国際的に働きかけを行った。結論から言えばこの試みは失敗に終わったのだが、注目すべきは失敗の中身である。というのも日本以外の国は近隣地域に「共同提案国」という存在があったが、日本の場合、日本がこれまで膨大な援助を送り続け、それによって成長を遂げたASEAN諸国の内、一か国も日本の国連常任理事国入りを支持しなかったからである。なぜASEAN諸国が日本を支持しなかったのか、その理由は中国への配慮があったからだ。

 最近中国は尖閣諸島だけではなく、ヴェトナムやフィリピン近海でも当該国と武力衝突に至っているが、中国の軍事的南下は従来からあった。実はその都度日本は、中国に対する抑止力としての働きをASEAN諸国から期待されていた。元タイ大使の岡崎久彦氏は、かつて中国の南下を抑止するため日本と同盟関係を結びたいとタイ政府から幾度となく働きかけがあったと証言している。しかしもちろん日本はタイと同盟関係は結ばなかった。理由はひとつ、集団的自衛権の行使ができないからだ。日本は守ってもらえても、日本が他国を助けることはできない。こうした状況では事実上同盟関係は結べない。日本はASEAN諸国にとって安全保障上全く頼りにならず、従ってASEAN諸国は次第に中国に配慮せざるを得ない状況に追い込まれていった。こうした状況が国連改革時の日本の孤立を招いたことは言うまでもない。

 集団的自衛権を行使できない弊害は、PKO活動の際も起きた。湾岸戦争以来、国際的な義務と責任を果たすため、日本は幾度となく自衛隊の海外派遣を行った。しかし現地では他国の軍隊に護衛してもらい、その上、護衛している軍隊がテロや紛争国当事国の軍隊から攻撃を受けた場合、日本の軍隊は護衛してもらっている軍隊を援護することができなかった。これも集団的自衛権が行使できないからであった。今後も予想されるPKO活動だが、これ以上義務と責任逃れをすることは、当然日本の信頼を失墜させることになる。

 にもかかわらず、集団的自衛権容認に相変わらず未だ「限定的」というごまかしのような修飾語をつけることに違和感を覚えるのは私だけではないだろう。「地球の裏側に行って戦争に参加するのか」という疑問に勇気をもって「そういうこともあり得る」と答弁することが今の政治に求められている。そもそも「地球の表側は良くて裏側はダメ」という意味不明の議論は、論理的ではなく感情的なものだ。中東や南米でPKO活動が行われるかもしれないし、今後地球の裏側にあるヨーロッパや南米の国と同盟関係を結ぶこともあるかもしれない。そうしたことも想定して「集団的自衛権」という「権利」を行使できるように法的な環境を整備することは、遅すぎるが当たり前のことである。


脱「ダチョウの平和論」 - 2014.03.20 Thu

 「原発は即ゼロがいい」「核燃料サイクルも今、やめたほうがいい」。既に終わったが、東京都知事選挙の際、かつての総理小泉純一郎氏は公衆の面前でこう大声で訴えた。確かに知事選は小泉氏の推薦する細川候補は敗退したが、「脱原発」の訴えは今なお紙面を賑わし、日本全国で響いている。

 小泉元総理の「脱原発論」の最大の根拠は、「核廃棄物の最終処分場が無い」という点だ。しかし私は、かつての総理の一点に争点を絞った選挙手法の危うさを指摘した上で、氏の主張の問題点を本稿で浮き彫りにしたい。

 確かに最終処分場は、世界中で北欧を除き明確に決まっている国は無い。しかしそれは住民の反対があるからだけではなく、高レベル廃棄物の放射能レベルが自然状態に戻るのに10万年かかるとされてきた期間が、もっと短縮できる技術が確立されようとしているからだ。

 例えばその10万年の半減期は、使用済み核燃料をプルサーマルで燃やすと8000年に短縮され、更にこれを次世代型高速増殖炉で燃やすと、驚くことに300年にまで短縮される。そして同時に高レベル廃棄物の量も7分の1に減少することがわかっている。300年にまで短縮されれば十分人間が管理することが可能となるだろう。つまり私がここで主張したいのは「科学は進歩する」ということだ。

 こうした事実が科学的に証明され、現在米国もフランスもそして中国もインドもロシアも、そして韓国も2025~30年実証炉運転開始を目指して再び開発を行っている。日本の周辺諸国を加えて、世界中で再び高速増殖炉の開発研究が進められているのである。

 こうした前置きをした上で、更に一般的な「脱原発論」が抱える四つの問題点を指摘したい。

 一つ目は、原発の代替エネルギーについてだ。太陽光、水力、風力、地熱どれも原発に代替するだけのエネルギーにはならない。現在は地域別電力会社が天然ガスや石油を活用した火力発電の稼動率を高めることで対応しているが、これらはコストが非常に高く、温室効果ガスを排出する上、他国にエネルギー源を依存してしまうため安全保障上極めて良くない。加えて、東日本大震災以降フル稼働している天然ガスや石炭火力発電は、建設から40年以上経過した老朽化施設が大半で、原発よりもはるかに事故が起こる危険性が高い。火力発電が事故で1機でも停止すれば、大規模な停電につながる恐れがあり、そのような状況では当然企業も展開先を海外に振り向けるしかない。

 二つ目は、安全性についてだ。安全性の議論はどの程度安全であれば良いかという議論がいつも争点になるが、少なくとも日本では既に大地震・大津波に耐えうる原発が開発されている。北海道大学大学院教授の奈良林直氏は次のように主張している。「まず、日本の原発すべてが危ういように報道されていますが、そうではありません。東京電力福島第一原発(F1)の1号機から4号機は事故を起こしましたが、F1の北にある東北電力の女川原発は、大地震と大津波に耐えてきちんと生き残りました。地図で見るとわかるように、こちらの方が震源にもっと近かった」。福島原発の1号機から4号機はアメリカ製の古い型で、東北電力の女川原発はもっと新しい。そして中国や米国が現在建設している原発(AP1000型、3・5世代)は更に新しく、外部電源なしで原子炉を冷やせる技術を有する。つまりこれは福島第一原発と同じ状況に置かれても3・11で起こったような水素爆発も、その後の事故も発生しないということを意味する。そして、この米国や中国が建設している世界で最も安全な原発技術は日本の東芝が有するものだ。

 三つ目は、国家安全保障上の問題である。先にも少し言及したが、外国の資源に依存する発電方法は国家安全保障上好ましくない。1941年に始まった日米開戦のきっかけは、欧米列強の日本に対する「ガソリンの禁輸措置」であった。1941年当時、日本軍の石油備蓄量は約2年分。石油が枯渇すると航空機・軍艦・軍用トラックが使えなくなって戦争を継続できなくなるため、その時点で英米に宣戦布告されれば自動的に敗戦してしまうことから、軍部の強硬派はアメリカ・オランダの石油禁輸措置の経済制裁に対して、「即時開戦論」の激しい反応を示すようになり、戦争に突入していった。従って、日本の歴史からみて、エネルギーを外国に依存することは国家安全保障上好ましくないことが言える。

 そして最後は、周辺諸国の高速増殖炉の開発である。これは日本のみが「脱原発」をしたとしても、事故時の放射能飛散の危険を防ぐという観点から言って全く無意味だということを意味する。なぜならば、中国が既に日本に面する海沿いに数多くの原発を建設しているからだ。韓国も同様である。これらが事故を起こせば、仮に日本に一基も原発が無くても、中国発の放射能が黄砂のように日本に降り注ぐことになる。更に中国政府は2020年までに原発の発電容量を現在の7~8倍に急拡大する計画で、現在新規原発28基が建設中、38基ほどの新設も計画中である。このこと踏まえ、評論家の屋山太郎氏は、ヨーロッパの事例を挙げ次のように言っている。「ドイツ、イタリア、スイスは福島の事故を見て脱原発を決めたが、実は、フランスの原発で生まれた電気を買っている。この夏、フランスに行ったが、フランス人は笑っていた。原発は事故の危険があるから造らないとドイツ人は言っているが、われわれの原発はドイツとの国境近くに並んでいる。原子炉さえなければ安全だと思うのは、駝鳥(だちょう)の平和だ、と」。ダチョウは危険を感じると砂の中に頭を突っ込んで、敵を見まいとする。しかし、そこから危険は全く去っていない。フランス人はドイツの「脱原発論」を、この「ダチョウの平和」だと主張しているのだが、日本の「脱原発論」も全く同様である。

 確かに「原子力ムラ」といわれる巨大な癒着構造の問題はある。それはそれで正していかなければならないだろう。しかしだからと言って原発そのものを否定し、「脱原発」に走ることは、自分の首を自分で締めるようなものだ。

 私は過去、京大の古川和夫教授にならい「トリウム原発」を提唱したことがあった。もちろんそれを否定するつもりはないし「エネルギーの多様性」という観点から、「トリウム原発」の研究開発も進めるべきと考えるが、やはりウラン・プルトニウム型原発も先に述べた理由で全て廃止すべきだとは考えていない。

 「原発は人間が開発した悪魔の技術」だという意見がある。しかし先の古川教授が指摘していたが、核分裂物質原子炉というものは驚くほど単純な構造で、実は自然界にも存在する。アフリカで発見された有名な「オクロの天然原子炉」で分かったように、天然で何の技術が無くても炉が動く、いわば「自然エネルギー」である。

 結論として、我々は原発をどうすべきか。まさに「ダチョウの平和論」を抜け出し、日本の技術力を結集して、世界最高の原子炉を開発することこそ日本が進むべき道だと私は思う。地震にも津波にも耐え、事故も起きない炉をつくり、世界の原子炉を日本製にすることを目指すべきだ。これは日本ならできる、ではなく日本にしかしかできないことだろう。


靖国参拝をした安倍総理を支持する米国有力国会議員たち - 2014.02.25 Tue

 「米国政府の政策担当者たちがこの種の問題(総理の靖国参拝)に関与し、日本側にどうすべきか告げることは生産的ではない」

 米国の共和党上院議員マルコ・ルビオ氏は、1月24日韓国ソウルで講演した際、韓国人記者から日本の靖国参拝や歴史問題に関しての質問を受け、このように応えた。オバマ政権が「失望した(disappointed)」と表明したのに対し、それを批判し真っ向から反対の見解を示したと言える。この発言は韓国や日本では殆ど報じられなかったが、米国では報じられた。

 マルコ・ルビオ上院議員は1971年生まれの現在42歳、キューバからの難民を両親に持ち、貧しい家庭で苦労して育ち、高等教育を受けて弁護士となった。そして2010年にフロリダ州から連邦議会の上院議員選挙に立候補、初当選した。今や米国政界で高い知名度と高い人気を誇り、若いながらも大物政治家で、2016年の大統領選挙で共和党の有力候補の一人と目されている。また米国上院議会の外交委員会の東アジア太平洋問題小委員会の共和党側の筆頭理事でもある。つまり対日政策を決定する野党の責任者だ。

 そのルビオ議員は、訪韓の前1月21日に来日し東京で安倍総理と会談を行った。そしてその冒頭次のように語った。

 「安倍首相が日本の安全保障分野での能力を高めるために下した種々の決断や取り組みを支持する。特に日本の領土に対する冒険主義的な近隣国による非合法な主張を踏まえると、安倍首相のそうした姿勢は心強い」

 1月21日といえば当然安倍総理の靖国参拝の後である。にもかかわらず、ルビオ議員は靖国参拝には一言も触れず、安倍総理の安全保障政策を支持し、中国による繰り返される領海侵犯や防空識別圏の一方的な設定について「冒険主義的」とか「非合法」だと非難したのである。この会談の内容は、日本のメディアはあまり報じなかったが、米国メディアでは報じられた。ルビオ議員のこれまでの発言を調べてみると、中国に対しては批判し、韓国に対しては自制を求める内容の趣旨で一貫している。

 もう一人紹介したい。これまでずっと日本を支持している米国の大物上院議員、言わずと知れた共和党の長老、77歳になったジョン・マケイン議員である。マケイン議員は昨年8月韓国ソウルを訪れた。そしてその際、日本がアジア地域での平和と安全に貢献する役割を果たしてきたことを強調した上で、「韓国も未来志向的な視点でこれからは前に進まなければならない」と主張した。日本側へ反省を促す発言はせず、韓国側が関係改善の努力をしなければならないと強調する発言を一貫して繰り返し行っている。

 日本のメディアは現在もなお、米国の「失望声明」だけを報道し続けている。そして今度は、その米国の声明に対し、「むしろわれわれのほうが失望だ」と反論した衛藤晟一首相補佐官を槍玉に挙げて批判している。私は衆議院の外務委員会の所属だが、そこでも、そして予算委員会でも野党はこの衛藤補佐官の発言を抽出して繰り返し批判するキャンペーンを行っている。

 しかし米国には「失望していない」有力政治家が数多くいることも広く認識しておく必要があるのではないだろうか。加えて、ルビオ、マケイン両議員は尖閣諸島についても、現オバマ政権とは異なり、施政権だけでなく領有権も日本に属していると公言していることも知っておくべきだろう。

 確かに次の米国大統領選も、民主党のヒラリー・クリントン氏が勝利する可能性が高いかも知れない。しかし二大政党制をとる米国では、いずれ「政権交代」が必ず起こる。そして一方の共和党は、明らかに民主党と外交政策が異なる。共和党の極東アジア政策は「中国の脅威に対して、日米韓が同盟関係の強化を図るべし」というものに集約されてきている。日米韓が、現実的に連携が取れるかどうかは別にしても、仮に政権交代が米国で起これば、対アジア政策は変わるのである。

 重ねて言うが、どの国でも「政権交代」が起こる。確かに変化する対外関係に柔軟に対応することも時には必要であろう。しかしその度にその国に合わせて政治姿勢をころころ変えることは、私は得策ではないし、逆に信頼を得られなくなる場合も多々あると考える。まして自国にとって非常に重要な事柄であれば尚更、ブレずに貫き通す姿勢が大切だと思う。

 安倍総理には、米国の「失望声明」に左右されず、戦没者に対する感謝の意を表すため、今後も春秋の例大祭、並びに8月15日に靖国神社への公式参拝を実現して欲しい。




特定秘密保護法案、本質的議論を! - 2013.12.05 Thu

 いよいよ臨時国会も大詰めを迎えようとしている。しかしここにきて、ある法案をめぐり与野党が対立し、国会がもめる事態に至っている。ある法案というのは、周知の「特定秘密の保護に関する法律案(特定秘密保護法案)」である。

 11月23日、中国が尖閣諸島を含む空域に「防空識別圏」を一方的に設定した。防空識別圏は国際法的根拠を持たないため、各国が独自で設定しているものだが、周辺諸国に不要な不安を与えないために、通常は事前に折衝や協議がある。しかし今回はこの折衝や協議は行われず、更にその上、日本・韓国・台湾の領域と重複して設定された。完全に中国の膨張主義的な挑発行為と言えるだろう。

 中国がこのような強硬姿勢を取る裏には、中国国民のフラストレーションを外に向けるしかない国内事情がある。中国は未だ選挙をやらない、事実上共産党一党独裁の国である。民衆の共産党政府への不満は、民主主義国家でない以上はけ口が無い。共産主義をとうの昔に捨ててしまった共産党は、ここ数年間はGDPを増大させる、つまり経済成長こそがその存在意義であった。しかしここにきてその経済成長もバブル崩壊とともに陰りを見せ始めた。共産主義を捨て、経済成長も止めてしまった共産党政府が存在する意義は、外に敵を作り、それに対抗し国民を守る「強い政府」を演じるしかない。そこで隣の日本を批判の対象としてナショナリズムを煽り、必死に求心力を保とうとしているのが現状だと言える。

 一方、それを注視してきた米国はどのように考えているのか。結論から言えば米国は中国とは対立したくない、経済的にも軍事的にも対立する余力が無いというのが現状だ。オバマ大統領の最大の関心事は「オバマ・ケアー」と呼ばれる医療・福祉制度の充実を中心とした内政であり、決して「世界の警察」などではない。その証拠に9月10日ホワイトハウスで行われたシリアに関するオバマ大統領の演説を見ると「米国は世界の警察官ではありません」と断言している。かつて米国には「モンロー主義」と言われる「不干渉・孤立主義政策」を取った時代があったが、まさに今のアメリカもそれと似た政策を選択しようとしている。

 「中国の台頭」と「米国の低迷」が今国際社会の秩序を変質させていることは様々なところで指摘されている。つまりそうした中で、今回中国が「防空識別圏」を設定したことは、中国の国内事情と米国の国内事情から、米国の抑止力が極東アジアにおいて効かなくなってきているということを意味している。

 では日本はどうすべきか。当然日米安保を基軸とする「米国頼みの安全保障体制」から「自主防衛体制」へと変換しなければならない。「アメリカ頼み」が通用しなくなってきているからである。しかし国内を見ると、集団的自衛権の行使さえ検討中の段階である。それでも少しずつでも安全保障体制の切り替えはしなければならない。今回のNSC設置も、特定秘密保護法の制定もそういう国際状況変化という文脈で行われていることをもっと私たちは自覚しなければならない。

 しかし最近のマスコミ報道を見ると、この特定秘密保護法案に関して、先に述べたような国際情勢の変化を全く報じずに、ただただ「知る権利の侵害」や「隠すべきではない情報も隠される」などという極めて恣意的で意図的な側面でのみ報じ、政府を批判しているようにしか見えない。

 そもそも今回の法案の中身を見ると、そうした国際情勢の変化と切り離して考えてみても、私は国家としてごく当たり前の内容になっていると考えている。これまでが情報に関しての法律が甘すぎたと言って良い。例えば今回の「特定秘密保護法案」のポイントとなる一つ目は罰則規定である。これまでは国家公務員法における守秘義務違反、つまり国家公務員が重要な情報を漏らした場合の罰則は、「懲役1年以下か罰金50万円以下」となっていた。これを「懲役10年以下か1千万円以下の罰金」というように強化しようというもの(特定秘密の保護に関する法律第21条)。しかしながら私は、これでも甘いくらいだと考えている。「その漏えいが国家の安全保障に著しい支障を与えるおそれのある情報」を漏えいした場合、中国や北朝鮮なら間違いなく死刑だろう。

 またもう一つの当該法案のポイントは「情報を漏えいした者」のみならず「情報を取得した者」にも同様の罰則(懲役10年以下か1千万円以下の罰金)が科せられる点である(特定秘密の保護に関する法律第22条)。これを聞いたら、むしろこれまで罰せられなかった方がおかしいと思う人が殆どではないだろうか。これまで日本は「スパイ天国」と呼ばれてきた。それはスパイが政治家や公務員に金品を供与したり、または脅したりして情報を取得しても罰せられなかったからである。そこでこれに対しても罰則を設けようというのが今回の法案のポイントである。

 多くのマスコミや市民団体は「国民の知る権利の侵害」だと反対運動を繰り広げているが、今回の法律で「特定秘密」に指定される対象は、簡単に言って「外交・安全保障、防衛、テロ対策、危機管理」こういうものに限定されている。決して「知る権利の侵害」に当たるものではなく、国民を危機から守るために必要な国家秘密の漏えいを防止しようとする、いわば当たり前のことを目的としている。

確かに「特定秘密保護」というネーミングが国民に誤解を与えているかも知れない。「スパイ防止法」が無理ならば、「国家秘密漏えい防止法」や「重要秘密漏えい防止法」というような名前にした方がわかり易かったかもしれない。「特定秘密」の「保護」という言葉の使い方が、政府がやましいことを隠そうとしているのではないかという誤解を招きやすいのだろう。しかしネーミングの議論は本質的議論ではない。

 内閣支持率が低下しているという。国会が大詰めを迎える中で、マスコミは本質的な議論を展開して欲しいと思う。国際的なパワーシフトが起こっている中で、日本が日米同盟を維持しつつも、「自主防衛路線」を模索していくことは必要不可欠なことである。そしてその「自主防衛体制」を構築していくためにも、NSCや情報管理、自衛権の議論も現実的視点で冷静に行っていかなければならない。マスコミほどの大きな情報発信力は無いが、私もブログ等で少しでも正しい視点と情報を提供したい。



「法の賢慮、平等主義に敗れたり」 - 2013.12.02 Mon

 9月5日、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)が、結婚していない男女の間に生まれた子(非嫡出子・婚外子)の遺産相続分を、結婚している夫婦の間に生まれた子(嫡出子)の2分の1とする民法900条4号但書について、「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反するとの決定を示した。驚くことに、裁判官14人の全員一致によるものだった。

 裁判所はこれまで民法の規定を違憲だとは判断してこなかった。しかし今回「国民意識の変化、国際社会の勧告などに加えて、非嫡出子の相続を嫡出子の半分とすることの合理性が認められない」とし、違憲との判断を下した。マスコミ各紙も、その殆どがこの判決を絶賛し、「父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択・修正する余地のない事柄を理由として、その子に不利益を及ぼすことは許されない」との論陣を張った。朝日新聞はその社説で「遅すぎた救済である」とまで述べた。

 確かに、全ての子が等しく幸せに育ってほしいと思うのは至極当たり前の感情だ。しかし今回の判決に大きな違和感を覚えたのは私だけではあるまい。考えれば考えるほど、今回の裁判所の判決を契機として、現在日本を覆っている思想の潮流や三権分立・統治機構そのものの問題が広く存在し、そして根深いことに気付く。それはさておき今回の判決について、私は二つの点で欠陥があると考えている。一つは、今回の判決は「子」の「平等」という視点だけを押し通しており、「家族」すなわち「婚姻共同体」の尊重という視点が無視されていることである。

 これまでの民法の規定の根底には、「個人」よりも「家族‐婚姻共同体」を尊重するという考え方が存在した。日本の家族は多くの場合、生計を維持するために夫婦で互いに協力し働き、家事を負担し、親戚付き合いや近所付き合いを行うほか様々な雑事をこなし(民法では夫婦協力扶助義務がある)、あるいは、長期間の肉体的、経済的負担を伴う育児を行い、高齢となった親その他の親族の面倒を見ることになる場合もある(民法では未成熟子扶養義務がある)。子どもはこの夫婦の協力により扶養され養育されて成長し、そして子ども自身も夫婦間の協力と性質・程度は異なるものの事実上これらに協力するのが普通である。こうした日本の伝統的な家族のあり方が、家族はそれぞれが個々人で尊重されるより、個々には犠牲を払ってでも共同体として絆を深めるように努力すべきであるという「家族‐婚姻共同体の尊重」という考え方を育んできた。従って、婚姻期間中に婚姻当事者が得た財産は、実質的に個人ではなく婚姻共同体の財産であって本来その中に在る嫡出子に承継されていくべきものであるという見解が広く国民の間で共有されてきたのである。ところが今回の判決はこうした「家族の尊重」とも言うべき日本の伝統的な視点を全くもって欠いてしまっている。だからこそ今回の判決に「親が亡くなった途端に、親の面倒を見ていない子どもが遺産相続に現れることが許されるのか」という疑問が出されたのである。

 それから、今回の判決における二つ目の問題点は、「父母」や「夫妻」の視点、つまり父に裏切られた嫡出子の視点や夫に裏切られた妻の視点が無視されていることである。「一夫多妻」を認めていない日本の法律は、当然夫一人に対して妻一人、不倫や浮気は許されるものではないという「国民道徳」に基づく。つまりこのことが意味するのは、非嫡出子に差別される側としての悲しみがある一方で、当然嫡出子にも父に裏切られたという悲しみがあるということだ。そしてそれ以上に決して忘れてはならないのは、正妻の懊悩煩悶である。だからこそこれまでの民法の規定は、夫を愛人やその子に奪われた正妻の応報感情を重視したものであり、その点で広く共有されてきた「国民道徳」に裏付けられてきた法律だと言える。ジャーナリストの櫻井よしこ氏はこの点について次のように述べている。「非嫡出子の相続分が嫡出子の半分であることがいけないというが、家庭外で子どもをつくることはそういう結果を伴うという覚悟を、母親の側が持つのが本来の姿であろう。父親は、婚外子にも平等に分けてやろうと考えれば、その旨、遺言を残すことができる。最高裁の判断で平等を担保するより、日本人が責任ある大人として考え、振る舞えばよいことなのだと私は思う」。

 「子は平等」「子に罪はない」「子は親を選べない」と言われれば、反論のしようがない。しかしだからこそ非嫡出子を経済的に保護すべきだという、いわば社会的な配慮で日本は、結婚している人々に対してよりも、結婚せずに子どもを産み育てるシングルマザーに対して、より有利な税法・支援制度を作ってきた。つまり「相続」という分野ではないところで「非嫡出子」を保護してきたのである。その上今回のように相続権まで同等に認めることになれば、結婚や家族そのものを否定する方向へと、インセンティブが働きかねないと私は思う。

 今臨時国会で急ピッチに進められた「民法改正(改悪)」だが、果たして本当にそれで良いのだろうか。日本人としてもう一度深く考えるべきではなかろうか。

 今回の判決を聞いた埼玉大学の長谷川三千子名誉教授は「法の賢慮、平等主義に敗れた」と表現した。実に的を射た表現だと思う。これまで日本では、個人の尊厳や家族の尊重、そして平等主義と日本の伝統的な道徳観念、様々な議論がある中でシングルマザーへの優遇措置を含めた法制度の整備を積み重ねてきた。家族を守りつつも罪の無い非嫡出子に経済的苦労をなるべくさせまいという、まさに大人の対応として「法の賢慮」を生み出してきたと言って良い。しかしながらグローバル化の波に乗って押し寄せて来た「欧米型の平等原理主義」によって、今まさにそうした「法の賢慮」が否定され、日本の伝統的な価値観が破壊されようとしている。そしてそのグローバル化の忠実な指導役に、司法、つまり最高裁判所がなってしまっているのである。「違憲立法審査権」を規定した憲法81条を金科玉条の如く掲げた最高裁判所が、絶対的権力を持って、「国権の最高機関」である国会をも凌駕し、日本社会の伝統・文化を破壊し始めている。

 非嫡出子の問題だけではない。一票の格差問題も、夫婦別姓問題も、外国人地方参政権問題も、全て欧米の「個人主義」「人権思想」「平等主義」に基づき、裁判所や法律家が指導的な役割を果たしている。情けないことに、それに唯一と言って良いほど抵抗する力のある「立法府」や「行政府」は、「司法の判断は重い」という表現を合言葉のように使用し、「国権の最高機関」として、それこそ「民意」に基づく反論をせずに、最高裁判所の判決にただただ追従してしまっている。もはや国権の最高権力者は最高裁判所長官の如し、である。

 法律学の世界でも政治学の世界でも、三権分立の原則や国民主権原理の観点から、民主的基盤が弱く政治的に中立であるべき裁判所にはその性質上扱えない問題が存在するといういわゆる「統治行為論」なる見解が存在する。また、憲法判断は裁判所がしても、それを受けてどのように法整備をするかはあくまでも「統治行為」であり、「唯一の立法機関」である国会が担う。今回の判決を受けて、嫡出子と非嫡出子の相続が按分されるくらいなら、正妻の相続割合を2分の1から引き上げて、子どもの相続分を激減させるよう法改正すべきとの意見が出されている。一つの方法だろう。しかしながら私は、こうした法改正も含めて、今回の判決に立法府・行政府としての反論・抵抗をすべきだと思う。私個人は、まだまだ微力である故に国会の中でもできることは少ないが、こうした見解を様々な場所で主張し、また記すことによって、行き過ぎた平等主義に抵抗し、グローバル化の波から少しでも日本の伝統・文化を守るために国民的議論を喚起したい。

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プロフィール

武藤貴也(むとうたかや)

Author:武藤貴也(むとうたかや)
昭和54年5月25日、北海道釧路市生まれ。血液型O型。東京外国語大学卒業、京都大学大学院修了(専門は外交・安全保障・国際法)。平成21年「全国公募」で自民党滋賀県第四選挙区支部長に選ばれ、平成24年第46回衆議院議員総選挙で初当選。外務委員会・安全保障委員会所属。麻生派(為公会)。近江八幡市在住。

*滋賀県第四選挙区(東近江市、近江八幡市、甲賀市、湖南市、日野町、竜王町)

国会事務所:
東京都千代田区永田町2-2-1
衆議院第一議員会館601号室
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